何かが上手いことは能力が優れているというわけではない。

前々から、漢文の中にそのような文章があった気がする感があったので、
ちょっと時間があったので調べてみたところ、目当ての漢文がありました。

帰田録 「手練れの技」 です。

「汝亦知射乎。吾射不亦精乎」。
(おまえも弓がわかっているのか?私の弓の腕前はなんと精確ではないか!)
と世に並ぶものがないほどの名手であった康粛公が自慢げに言うのに対し、

そばでうなずいて見ていた油を売る翁は
「無他、但手熟爾。」
(ほかでもなく、ただ手慣れているだけですよ)
と言い返し、瓢箪の上に穴の開いた銭を乗せ、
その上から油を注ぎ、銭が油で全く濡れなかったという話である。
(つまりこれも手慣れたものによるということ。)

自分の趣味であるタイピングにしてもテトリスにしてもジャグリングにしても何にしても、
やはり誰しも長年やっていれば、その分野に関して手慣れたものになることであって、
実は別に大したことでもない ということである。

ただ、上達の度合いは個人差はやはりあることは確か。

だからタイピングが速いというのも別に大したことでもなく、
指が手慣れている といえばそれまでだということに気づかずに
ただ自慢げにその分野を語ってる奴が最近多い感があるのは否めないことだ。

そういった自信過剰な奴に限って、自分の実力を貶された途端、
自制心を失って暴走して行く。(某掲示板とかね。)
これは傍から見ていて非常に見苦しいものである。

スコアがトップクラスとかバカなこと言ってるんじゃないよ?
あんなもん「タイピングに対する手慣れ度」だ。
まあこのことはタイピングに限ったことではないのですが。

どんなことに関しても、大したことでなく、手慣れていることであると考えれば、
互いにいがみ合い、僻むこともある程度抑えられる気がする。

切磋琢磨しあうことによって能力が伸びる?
プライドの誇り合いになってしまうと、相手に対する憎しみや苛立ちしか生まれないことは
痛いほど経験しているので、むしろ逆効果。

何かの分野に人より長けた能力を持っていて、自惚れ気味になりがちな方、
自分が手慣れているだけだということを今一度再認識してみてはいかがだろうか。

自分は何気なく手慣れていることを沢山増やすことが、
ある意味相互関係を築き上げる糧となるとは思う。

1分野に固執するのも悪くは無いかもしれないが、どうしても1分野だけだと
自分は他に類の無い素晴らしい技術を持っていると自惚れがちになるので、
ただ手慣れているだけだということを忘れてしまう危険性が孕んでいる。
その1分野にかけて、自信を持っていたのに相手に負けたとかなると、
当然自尊心は引き裂かれてしまう。
よって1分野だけ、極めて行くことは容易い事ではない。

まあ、その一種を貫き通し、極限付近にまで手慣れた人は、
はたからみればやはり尊敬に値するものだろう。

  by ddrer-yossi | 2007-08-02 23:59 | 日常生活

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